柳町で商う人々Persons of YANAGIMACHI
- 仕事ってなんだ?
- 01 ものづくりカフェ こねくり家
- 02 ハレノヒ柳町フォトスタジオ / 笠原 徹
- 03 和紅茶専門店 紅葉 / 岡本 啓
- 04 鍋島緞通 織ものがたり / 木下 真
- 05 megumi / 森 恵美
- 06 minade / 江口 昌紀
- 07 よそほひ処 二葉 / 荒川 国子
- 08 ステンドグラス工房 グラスパレット / 西村 尚子
- 09 くみひも屋 絆 / 池田 ノリ
- 10 ブルームーン / 江副 由美子
未来の「まちの写真館」の
あり方とは?
コミュニケーションツール
としての写真の可能性。
ブライダルカメラマンとしての経験。落胆と希望。
ハレノヒという写真館オープンまでの道のり。
― 大阪でブライダルカメラマンをされていたんですよね。その頃にお客さんとのコミュニケーションの楽しさを知ったんですか?
大阪で仕事をしていたのは、大きいホテルと提携している関西で一番大手の写真館だったんですけど、当時はね、スナップ写真とか結婚式で自然に撮っていくのがメインで、お客さんとコミュニケーションをとるタイプのポートレート写真は先輩・上司のアシスタントだった。今でもそうなんですけど、人に声かけて写真とるのは結構ストレスです、向こうが望んでるかどうか分からないし。それよりは向こうが楽しそうにしているのを横から撮っていく方が全然楽で、それをやっていくうちに写真が楽しくなっていくんですよね。喜んでる感想が来たりするのが嬉しくて、写真でこんな風に思ってくれるんだって。誰でもそうだと思うんですけど、人に感謝される言葉を一言もらったり、褒められたりするだけで人生が変わっていくんですよね。僕は簡単に人を褒めるタイプじゃないけど(笑)。
― 大阪から佐賀に来るきっかけは何だったんですか?
大阪で働いて4年目くらいの頃に東京転勤の話がきたんです。今の奥さんとその頃には付き合ってたので「じゃあ結婚するので待ってください」って言ったら「それなら転勤しなくてもいいよ」って言われ、なんだよってなったんです(笑)。会社の雰囲気もあんまり良くなかったし、奥さんの実家がカメラの修理屋で、そこを手伝ってという話も出てきたので「よし、佐賀にいってみよう」と。それで1年、修理屋さんの手伝いをやってみたんですが、お義父さんにはっきりと「向いていない」と言われてしまって。修理って、例えばシャッターが切れなくなってしまった場合に、その原因を予測して、ねじを外していって原因を探って「ほらやっぱりこうだよね」という風に直していくんです。で、たまに違う事例があると、「ああ~こういうのもあるんだ~」と楽しむ。そういう意味では、本当の技術屋さんで、この楽しさが見えないと面白くない世界。僕は工業高校にいったわけでもなかったし、初めてできない人の気持ちが分かったんですよね。自分ができないことを自覚しながら、義理の親兄弟から「できねぇなぁ」って目で見られるっていうのはすごくつらい。その時はやれば出来ると思っていたんですけど、今になれば自分も、プロのカメラマンとして、大体相手が出来るか出来ないかの判断はできる年代になってきたので、僕のことを思ってプロとしてお義父さんは決断したんだと分かります。それでもう、地元の関東か大阪に帰ろうと思っていたんだけど、ちょうどそのタイミングで佐賀の写真館さんが「うちで仕事をしないか」と声をかけてくれて、正社員ではないけどそこで定期的に仕事をするようになった。それがちょうど10年くらい前の話です。
― ええ10年!結構前から佐賀にいらっしゃるんですね、実は(笑)。
そうそう。そこから佐賀の写真館の仕事をするんですけど、どうしても、大阪のやり方と佐賀のやり方を比べると、効率が悪い部分とかがあって、それを一生懸命伝えようとしても、受け入れてもらえないこともありました。あとは式場の利益至上主義のやり方に納得がいかない部分があったり、すごく悩んでいた時期もありました。今となっては自分も経営者になって、分かるようになったことも沢山あるんですけどね。でも当時は新しいことを受け入れようとしない佐賀に対して、「佐賀ってこういう人たちの集まりなのか」と絶望していってしまって、ほとんど外部と接しなくなったんです。仕事終わって6時過ぎに家に帰って漫画喫茶に行ったり、当時はまだパチンコもしていたかもしれない。そんな生活も3~4年くらいして飽き飽きして「とうとう出よう」って思った。その頃に「美少女図鑑」の仕事に出会ったんです。カメラマンをやらないかと誘ってもらって。結婚式の撮影って目の前のお客さんに評価されればOKなんですけど、ああいう表に出る写真って、色んな人に晒されて色んなこと言われるっていうプレッシャーがあるじゃないですか。そういう場所に身を置こう、と思って、やらせて下さいってお願いしました。それが4~5年まえですね。
― そこから写真館をやろうって思われるようになったんですね。
そうですね。ブライダル業界の商業ベースのやり方と、自分がやりたいことのギャップに悩んでいたんですよね。僕が佐賀にいた数年間は、仕事の会話の中に「お客さん」がいないっていうのが、ずっと違和感としてあったんです。だからエンドユーザー重視にしないといけないっていう気持ちはすごくありました。ブライダル写真の世界に関わってきた自分に何ができるだろうって考えて、行き着いたのが「写真館」だったんですね。スタジオをやるなら、なんとなく古民家でやったらおしゃれなんじゃないかっていう直感があって、「佐賀 古民家 賃貸」って検索したら柳町のプロジェクトが出てきて。説明会は終わっちゃってたけど、すぐ佐賀市役所に電話したら、改修前の旧久富家を見せてくれました。そこからダメ元で応募したら書類審査に通って、OpenAの馬場さん達の前でプレゼンをすることになりました。その時に、なぜ「古民家」なのかって自分に問うた時に、やっぱり写真って時間の流れなので、時間の積み重ねを見てきた「古民家」とはリンクする部分があるなって思ったんです。そんなところを審査会の10分のプレゼンでは話しました。ばっちり9分57秒くらいで(笑)。