佐賀県のとある小さなまちの取り組み

柳町について

  1. 01 柳町について
  2. 02 柳町のチーム

柳町で商う人々

  1. 仕事ってなんだ?
  2. 01 ものづくりカフェ こねくり家
  3. 02 ハレノヒ柳町フォトスタジオ / 笠原 徹
  4. 03 和紅茶専門店 紅葉 / 岡本 啓
  5. 04 鍋島緞通 織ものがたり / 木下 真
  6. 05 megumi / 森 恵美
  7. 06 minade / 江口 昌紀
  8. 07 よそほひ処 二葉 / 荒川 国子
  9. 08 ステンドグラス工房 グラスパレット / 西村 尚子
  10. 09 くみひも屋 絆 / 池田 ノリ
  11. 10 ブルームーン / 江副 由美子

建築リノベーションとしての柳町

  1. 01 建築資源活用の柳町においてのポイント
  2. 02 建物 改修前、改修後。リノベーションってなんだ?
  3. 03 OpenAの柳町に対する考え方 / 馬場正尊
  4. 04 OpenA 鈴木みのりによる建築的な森永家・久富家
  5. 05 佐賀市役所の仕掛け / 都市デザイン課 武藤英海
  6. 06 古賀銀行 / 音楽イベント、カフェとしての文化財活用

柳町で商う人々Persons of YANAGIMACHI

  1. 仕事ってなんだ?
  2. 01 ものづくりカフェ こねくり家
  3. 02 ハレノヒ柳町フォトスタジオ / 笠原 徹
  4. 03 和紅茶専門店 紅葉 / 岡本 啓
  5. 04 鍋島緞通 織ものがたり / 木下 真
  6. 05 megumi / 森 恵美
  7. 06 minade / 江口 昌紀
  8. 07 よそほひ処 二葉 / 荒川 国子
  9. 08 ステンドグラス工房 グラスパレット / 西村 尚子
  10. 09 くみひも屋 絆 / 池田 ノリ
  11. 10 ブルームーン / 江副 由美子

東京の巨大案件を、
佐賀でバリバリとこなし、
IT×◯◯で地域循環の
コンセプトモデルをつくる!

株式会社EWMファクトリー代表取締役
友納 健一郎 / Kenichiro Tomono
1964年、佐賀県佐賀市生まれ。中央大学卒業後、日本IBMにシステムエンジニアとして入社、社内外でいち早くインターネット活用を提唱し専任チームで活躍。外資系会社副社長を経て2001年にEWMジャパン、06年には佐賀市に子会社EWMファクトリーを設立。千葉県在住。

ただいま10年目。当時はこつこつ。
地盤が整って来て、次は自ら実証実験だ!

― 僕も佐賀出身なんですけど、正直柳町は一見よく分からない町という印象でした。「こねくり家」さんも単純に新しく出来たカフェに見えるし、「ハレノヒ」も写真館か雑貨屋さんかぱっと見は分からない。でも皆さんに今回じっくり話を聞いてみたらとても面白い。友納社長が柳町に関わられるようになったのはどうしてですか?

私、実家が近くなんです。柳町からすぐの東佐賀町、歩いて5~6分くらいのところなんですけど、昔の柳町は歩いても誰もいない通りだったんですね。今でこそこねくり家の前はお客さんもいたりしますけど、私にとって柳町は佐賀でお酒を飲んだ後の帰り道。誰ともすれ違うことのないところでした。私自身は高校まで佐賀で、大学から東京に行って、IBMに15年近くいたけど、EWMというウェブ・インテグレーションをする会社を15年前に設立して、10年前に佐賀にEWMファクトリーを作ったんですね。東京でやっていた事業の一部を佐賀でやろうっていうことで作ったんですが、まだ佐賀のオフィスもない頃だったので、柳町の浪漫座で面接をしたりしていたんですよ。なかなかあんなカフェないので(笑)。我々の事業は、ニアショアのスタイルで、企業誘致でよくある「一部の製造工程を地方で」という形ではなく、東京でやっていた業務のほとんど、できることはすべて佐賀でやろうということで移して、人の配置も当初は東京側に沢山いたのが、佐賀側に1人〜2人と増えていき、今は佐賀に34名、東京は6名なので、もう人数も逆転していますし、業務そのものも佐賀がメインで、東京はEWMファクトリーの営業窓口になっています。我々のようなITの仕事は、本来は場所関係なく出来るわけですが、 IT系の大きな会社のほとんどが東京に集まっています。最近は大手さんも地方に拠点を作りたいと言って、ニアショアも当たり前になってきているけど、自分たちはニアショアのコンセプトもはっきりしていない10年近く前から取り組んでいるんですね。東京の大きな案件だったり国際イベントだったりの仕事を、佐賀に新卒で入った子が取り組める状況になっていて、これは自分たちの考え方としては、東京の仕事を佐賀に持ってくることで、雇用も生まれるし、お金と人の流れる仕組みが少しずつできてるのかなと思っています。これが第一段階。その次のステップとしては「地域の中での循環」ですよね。確かに、東京の大きな案件をプロジェクトとしてやって、多くの人に見てもらえる仕事に関われるのは良いところもあるけど、やっぱり大変だったりもする。国際イベントなどは締切は絶対にずらせないし、そういうプロジェクトに佐賀の若いメンバーが入っていて雇用が生まれるという良さはありますけど、せっかくのんびり暮らせるのがいいのに、忙しい仕事だけ持ち込んでいいのかっていう気持ちはちらっとあったりします。みんな遅くまでやってますから…。ただ地域でのITの活用の仕方という意味では、それぞれの地域の特性や課題がありますから、そうやって彼らが大きなプロジェクトと関わることで、経験を積んで育っていってノウハウが蓄積されていくので、今度は自分たちの住んでいる所をもっと楽しくしていくために、ITあるいはデザインをどう活用していくのかという取り組みをやりたいんです。地元の企業や公共機関のITニーズに単に応えるというだけではなく、時代が複雑化してきている中、なかなかITやパソコンだけで解決できることが限られているので、もっと活動範囲を外に広げていかなければいけないと思っています。我々は今までお客様に対して、ITとデザインを提案するということをやってきたけど、今後の新しいテーマ、例えばIoT(インターネットと繋がっている物理的なモノたちの相互関係・集合体)などの取り組みをするときに、まずは我々自身がそれを事業者としてやってみて、そこで上手くいったノウハウをお客様に広げていくということをやろうと。新しいことをお客様のプロジェクトで実験するんではなく、我々自らがやろうという取り組みですね。我々が得意なIT・デザインに、地域の資源やコンテンツを掛け合わせていくと、面白い物語ができる。地域の資源としての古民家、コンテンツとしてのものづくり、それが形になったのが「こねくり家」なんです。同時に福島の方では「遊休の保養所」に「スポーツ」を掛け合わせた面白い取り組みを、色んな人との協働で行っています。IT系やデザイナーだけではなく、地元の人たちや他の業界の人たちも含めた取り組みなんです。佐賀みたいな地域であれば、行政との連携も非常に簡単にできますし…それこそ高校の同級生もそれぞれのポジションにいたりとか、都市デザイン課の武藤さんやOpenAの馬場さんも後輩にあたりますし。

― そうだったんですか(笑)!

枠をこえた連携って地方の方がしやすいじゃないですか。東京都はEWMの大きなお客様ではありますけど、東京都と組んで何かやろうっていうのはなかなか出来ない。でも佐賀市と組めば非常にコンパクトに実験ができるわけで、これからの時代の新しい取り組みをするのは東京よりも地方の方がやりやすいと思います。それをいくつかやって、結果として地域でいい循環が生まれれば、それを首都圏に持って行ってもいいわけです。こねくり家のメンバーがいる部署「リバースイノベーショングループ」っていうのは、こういう取り組みを大きな市場まで持っていくのが仕事なんですよ。地域で最初に面白いことをやって、逆輸入するということですね。「こねくり家みたいなカフェが東京にもあればいいね」って東京から来たお客様にも言われたりするし、地域でのそういう取り組みやITをお客様に提供するだけでなく、我々自身が「事業者」として進めていこうっていう一つ目の取り組みが「こねくり家」なんです。もう一つは、我々が佐賀に拠点を作ったことで、若者たちがお昼休みとかに佐賀の街中を歩くわけです。唐人町の通りとか出ても人通りも少なくお店も少ないですよね。昔、私の親戚が唐人町のところでお魚屋さんをやってて賑わっていたところも、今は寂れてしまってますけど、我々も佐賀拠点の人数は増やしていくので、うちの若者たちが街中で働けるようになって街中をうろうろするようになれば、少しずつ変わっていくのかなと。「こねくり家」は子供連れのお客さんも結構多いですし。そういうITの活用と地域の取り組みを、周りの人たちと出来る「拠点」をずっと探していたんです。柳町プロジェクトを知る前、3年前くらいでしょうかね。ニアショアモデルがうまく回り出して、佐賀に新人が増えて行った頃から考えていた構想で、いくつか場所も物色していたんです。次のステップはそうやって地域の中での循環を我々が事業者としてやってこう、と思っていたんですね。